ベネチアンビーズはイタリア・ムラノ島発祥のグラスビーズです。芸術的にも優れているベネチアングラスアートの世界をどうぞお楽しみください。

ベネチアンビーズの世界 ~the art of Venetian Beads~

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ベネチアンビーズの歴史 一覧

ベネチアンビーズの歴史

約700年前(13世紀末)に、ベネチア共和国政府はガラス職人とその家族をムラノ島へ移住させベネチアングラスの技法が外部に漏れるのを防ぐ為の政策をとりました。

東方交易において、非常に貴重な品であったためです。これは、かなりなもので、職人たちは島を出ることを禁じられ、逃亡者には死刑が待っているといった厳しいものでした。しかしながら、ガラス文化(産業)の発展に寄与したものには貴族の称号が与えられるなどの政策もとられ、完全にベネチア共和国政府の監視の下におかれることとなったのです。


ムラノ島のガラス職人たちは、古代ローマが開発したというモザイクやレース模様のガラス技法を復活させました。ベネチアングラスの特徴的な技法として、炉から熱く溶けたガラスを巻き取って冷えて固まらないうちにペンチなどの道具を使い形を作っていきます。ガラスが固まるまでが勝負です。ですので、瞬間的な判断や職人の芸術性、鍛え抜かれた技術と感がものをいう世界。
18世紀には各国が高い関税を課したため、関税のないアフリカや東南アジア向けに大量のビーズを輸出。現在アンティークビーズと呼ばれるベネチアンビーズには、この頃のものが多くみうけられます。1797年にナポレオンによってベネチア共和国が滅ぼされるまで、ベネチアンビーズは栄華を極めていました。


ナポレオンとの戦争で海上が封鎖されたムラノ島は、東方への販路を絶たれたため全盛期の4分の1までに落ち込んでしまったと言われています。このまま滅んでしまうのかと思われかけたとき、ムラノ島の女性のビーズ職人たちの手によってすくわれることとなります。コンテリエ(シードビーズ)です。

フランス革命のおかげで新しい需要が生まれ、1ミリ以下のコンテリエ。これがムラノ島を救うこととなりました。19世紀中ごろには、ヨーロッパ中に、そしてその植民地であったアフリカの国々へも大量に輸出されたようです。また20世紀に入り、チャールストンの流行によって、コンテリエをドレスにびっしりと縫いつけたものがもてはやされますが、その頃始まった第二次世界大戦で再度、ムラノ島のガラス産業は危機を迎えます。

現代では、ムラノ島からの移動は昔の人が聞いたら涙がでるほど簡単です。島からでるのも自由、EU圏ではパスポートなしでどこでもいくことができる世の中になりました。技術の流出はあるでしょうが、ベネチアングラスの芸術性や美しさは、職人たちに受け継がれ、目の肥えたアーティストたちをうならせてくれています。(一夜漬けで作れるものではありません) また、ベネチアンビーズのガラスは特徴的であり、コバルトや赤色、乳白色にそのすばらしさやバリエーションの多さを垣間見ることができます。

プロフィール

ほしのさくら

オーナーの富田です。「ほしのさくら」というペンネームの方が本名よりもしっくりくる場所もいくつかあります。

美しいものをみると、それだけで心豊かになります。絵画では印象派に、生け花では池坊、ビーズではもちろん、ベネチアンビーズに魅力を感じます。

ジュイエのこと、ベネチアンビーズのこと、もっともっと皆様にお伝えしていけたらと思っています。気軽に、どんどんコメントしてくださいね!

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